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中島義道『ひとを愛することができない』解説・森岡正博

http://www.lifestudies.org/jp/nakajima01.htm

中島さんのことを真の哲学者だと思ったもうひとつの理由は、そもそも哲学者とは「異常人」でなければならないからである。哲学というのは、みんなが漠然と 信じていることや、当たり前だと思っていることに対して、自分の実存を賭けて異を唱え、人々の世界観や人生観に果敢に挑戦する営みだ。そのためには、世の 中の価値観とはかけはなれた異様な世界に住んでいなければならない。単にユニークだとか、奇をてらっているとかではなく、まさに異常人でなくてはならな い。哲学者であるためには、その異常のただ中で、理知がきらめかなくてはならないのだ。そしてまた哲学者は、自分がそのような異様な世界に住んでいるとい うことに対して、内的な苦しみを抱いていなければならない。その苦しさの底から呻きのようにして出てこざるを得ない言葉であるから、哲学はこの世の常識や 慣習を根底から見直す力を持ち得るのである。

この本を読んでもらえればわかるように、中島さんは異常人である。彼の思考方法や洞察力も異常であるが、彼の暴露的な執筆手法も異常である。私はここに、 ソクラテス以来の哲学の王道を見る。私はこの本を、エッセイと見るべきか、自叙伝と見るべきか、哲学書と見るべきかわからない。しかし彼がこの本でやろう としていることは、あきらかに哲学の営みだ。すなわち、物事を、世の中の決まり事にとらわれない異常な観点から首尾一貫して見通してみること、これがこの 本で真に試みられていることである。ここにあるのは、人を導き、人に生きる知恵を教える人生論ではない。そうではなくて、ここにあるのは、人々が漠然と信 じている不動の大地を揺るがし、彼らを不安の大海に投げ込もうとする渾身の知の営みである。「愛」というものを、普通では考えられないような視点から残酷 にえぐり出し、それがどのような不毛な世界を形作るのかを論理的に再構成しながら、善良な人々に突きつけるという、哲学にのみ可能な試みがこの本ではなさ れている。

本書でも、中島さんは「愛」について哲学的に分析をするだけにとどまらず、実際の自分の人生のなかで、いかに「愛する」ことができなかったかを冷静に語 る。そしてそのようなパーソナリティをもった人間が、家族をどのように傷つけていくことになったのかを、淡々と記述していくのである。中島さんの視線は、 つねに、自分が実際にどうであったのかという点に注がれている。自分の人生こそが、中島さんの出発点であり、終着点である。